戸袋
昔、ある村はずれに小さな家が建っていた。古びてはいてもしっかりした造りであったので、少しばかり手を入れればすぐにも住めそうであったが、ここしばらくは住む者もないままに置かれていた。
その内、いつの頃からか、どこからやって来たのか、独り者の男が誰の物でもないらしいこの家に目をつけて住み始めた。小庭の草をむしり、積もった埃を掃き清め、破れ障子をつぎはぎに貼り足してやると、そこそこに充分な住み家とはなった。ただひとつ、小庭に面した雨戸を戸袋から引き出す時だけは、それが妙に重くていくらか難儀したが、そう大層なこともない。
男は満足し、新たな生活を始めた。
ところが、それからほどなくして夜中になると、どこからかガタガタと物音がするようになった。始めは風の具合であろうと気にもしないで過ごしたが、やがて板を引っ掻くようなガリガリという音も加わるようになった。よくよく耳をすませてみれば、その音どもは例の戸袋の辺りから聞こえてくるようである。
そしてその頃から、夕刻に雨戸を引き出そうとすると、今まで以上手応えが重いばかりか、雨戸が戸袋の中に引き戻される感じを覚えるようになった。
何かおかしい、と男は思った。
ある夕刻、雨戸を閉めようと、いつものように四苦八苦していると、クスクスと忍ぶような笑い声が聞こえた気がした。空耳であろうと決めつけて、とにかくも雨戸を閉め、寝床に就いた。が、あの笑い声が気になって寝も出来ぬ。その夜も、物音は鳴り響いた。
夜が明けた。大あくびをしながら雨戸を戸袋に収め、ふとその方を見た男は仰天した。
戸袋の中から、何者かがのぞいていた。
それは両の眼しか見えないのだが、明らかにニタニタと笑っていた。戸袋には無論、何者も入り込む隙間はない。ぼんやりとした光を放つ眼だけが、暗がりの中から男を見つめていた。
男は腰を抜かしたが、気丈な質だけにすぐに持ち直して、眼だけのそれに何者かと声をかけた。返事はなかったが、代わりにまたクスクスと忍び笑いが聞こえた。
男はムッとしたが、もののけ相手に致し方もない。
それから、物音は次第にひどくなった。
雨戸は尚も重くなり、もはや容易に引き出させてくれない。それでも男はむきなって住み続けたが、ついに寝不足で参ってしまった。
そんな折、一人の旅の僧侶が訪れた。一晩泊めて欲しいという願いを男は快く承諾したが、夜になると聞こえる物音についてもあらかじめ伝えた。すると僧侶は怖じもせず、穏やかに笑った。
「さもあろう。よくあること故な」
その夜もまた、戸袋は相変わらずだった。
僧侶は穏やかな表情で布団の上に端座したまま、黙ってその様子をうかがっているのだった。
朝になり、男が夜中の騒ぎについて尋ねると、僧侶は穏やかに語った。
「なに、拙僧がこの家に宿を求めたは、まさにそれと見たからだ。あれはその戸袋に棲みついた童(わっぱ)の魂よ。人前に出るのは面映ゆい。が、人がおればちょっかいのひとつも出したくなる。童とは、そうしたものであろうよ」
頭を抱える男を前に、僧侶は少しばかり小首をかしげて考えていた。
「そうさな、あれを追い出すのは簡単なことだが、そればかりではちと不憫よな。ふむ、さればこういたされよ」
旅立つ僧侶を丁重に見送った後、男はすぐに言われた通りの準備を始めた。小庭に縁台を据え、その上に水と、串に刺した団子と、ススキでこしらえたフクロウの人形を供えたのである。そうして夜になってまた物音がし始めると、大きな声で唱えた。
「かまわぬ、かまわぬ」
すると、物音はぴたりとやんだ。
その後も、夕刻になると男は欠かさず縁台と供え物を庭に出し、「かまわぬ、かまわぬ」と唱えた。それからというもの、男は物音に煩わされることはなくなり、雨戸も嘘のように滑らかに引き出せるようになったそうな。
そして月の美しい夜、雨戸の隙間から小庭をのぞくと、縁台にちょこなんと腰かけている小さな童子の背が見えるという。童子は団子とススキのフクロウを両の手に握り、脚をブラブラさせているということである。
おしまい、おしまい。